2011年08月
2011年08月06日
「節制」はいかにも古臭い自己訓練法だ。豊かな時代にそんなことを言うのは時代錯誤もはなはだしい。
と言って済ませるか?
ところで、「節制」の反対の「飽食」ということにも、現代人も魅力を感じないだろう。
「飽食」は肥満、緩慢で鈍感な行動、そんなイメージにつながる。
日本のこの20年間は経済的には下降をたどったが、それでも物があふれかえっている。
だから、人々は物の豊かさが幸福も生まないし、活力ある社会の目標にもならないことを知っている。しかし、物の豊さを習慣で追い続けている。社会の発展を経済の発展で測る呪縛から逃れられないのである。
「節制」の現代的意味は、実にここにある。「飽食」という目標では人は満足しないし、社会を活性化もしない。
「節制」とは「足るを知る」ということである。
欲望を捨てては、人間の活力や社会とりわけ経済を停滞させると心配する人もあろう。
しかし、そんなことはない。
欲望を捨てると、心にスペースができる。そのスペースを埋めようとして心と体が活性化するのである。これを心理学的には欲望のクリーニングと言う。
欲望を捨てても、それはスリムになって戻ってきて、精神力を高める。
経済でも有効需要を作ると称するバラマキは、無秩序で無気力な経済を作り出すだけ。異常な国債残高だけが残るのである。
震災復興財源でも、「節制」精神で生み出したもので賄うのが正しい。将来につけを残し、子孫に借金を残してはいけない。
★ 私の水彩画

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と言って済ませるか?
ところで、「節制」の反対の「飽食」ということにも、現代人も魅力を感じないだろう。
「飽食」は肥満、緩慢で鈍感な行動、そんなイメージにつながる。
日本のこの20年間は経済的には下降をたどったが、それでも物があふれかえっている。
だから、人々は物の豊かさが幸福も生まないし、活力ある社会の目標にもならないことを知っている。しかし、物の豊さを習慣で追い続けている。社会の発展を経済の発展で測る呪縛から逃れられないのである。
「節制」の現代的意味は、実にここにある。「飽食」という目標では人は満足しないし、社会を活性化もしない。
「節制」とは「足るを知る」ということである。
欲望を捨てては、人間の活力や社会とりわけ経済を停滞させると心配する人もあろう。
しかし、そんなことはない。
欲望を捨てると、心にスペースができる。そのスペースを埋めようとして心と体が活性化するのである。これを心理学的には欲望のクリーニングと言う。
欲望を捨てても、それはスリムになって戻ってきて、精神力を高める。
経済でも有効需要を作ると称するバラマキは、無秩序で無気力な経済を作り出すだけ。異常な国債残高だけが残るのである。
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2011年08月03日
仏教に自力宗と他力宗がある。これはどちらかが間違いで、どちらかが正しいということではない。
因みに、日本の仏教では自力宗も他力宗も正統な仏教である。覚りに至るプロセスは勿論違う。しかし、仏を信じて仏の導きに従う点においては同じ基盤に立つ。
自分の力を重んじるのは禅宗などの自力宗ではあるが、それでも仏の救いの力を信じる点で、浄土真宗などの他力宗にいささかも見劣りしないのである。
今回は至福・フローに至る方法で、自分の力を磨くことでそれを達成することを考えてみたい。今まで幾つかの方法を提案してきたが、必ずしも自力的か他力的かを問わずに進めてきた。
例えば感謝、信頼はどちらかというと他力的方法である。
一方、気の活用は自力的である。
祈りや瞑想は自力にも他力にもなりうる。
近代心理学にアファメーションとかビジュアライゼーションという方法がある。これなど実に自力的方法である。それに倣った祈りや瞑想なら自力的なものになるであろう。
さて、自力的なやり方は自己陶冶ということであり、意識して自己訓練をするところがポイントである。
フランクリンは面白いことを提案している。
彼の自叙伝を読むと、自己陶冶のために13の徳目をあげて、それを一つひとつ取り上げて意識して身につけていくのである。
節制 沈黙 規律 決断 節約 勤勉 誠実 正義 中庸 清潔
平静 純潔 謙譲
如何にも古臭いやり方のように見えるが、これがどうして役に立つのである。
私も夙にこのやり方に感服している一人であるが、今回至福・フローに至る方法論についてそれを参考に方法を考えてみる。フランクリンの提唱する各項目を援用して、私の考え方を書いてみたい。
★私の水彩画

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自分の力を重んじるのは禅宗などの自力宗ではあるが、それでも仏の救いの力を信じる点で、浄土真宗などの他力宗にいささかも見劣りしないのである。
今回は至福・フローに至る方法で、自分の力を磨くことでそれを達成することを考えてみたい。今まで幾つかの方法を提案してきたが、必ずしも自力的か他力的かを問わずに進めてきた。
例えば感謝、信頼はどちらかというと他力的方法である。
一方、気の活用は自力的である。
祈りや瞑想は自力にも他力にもなりうる。
近代心理学にアファメーションとかビジュアライゼーションという方法がある。これなど実に自力的方法である。それに倣った祈りや瞑想なら自力的なものになるであろう。
さて、自力的なやり方は自己陶冶ということであり、意識して自己訓練をするところがポイントである。
フランクリンは面白いことを提案している。
彼の自叙伝を読むと、自己陶冶のために13の徳目をあげて、それを一つひとつ取り上げて意識して身につけていくのである。
節制 沈黙 規律 決断 節約 勤勉 誠実 正義 中庸 清潔
平静 純潔 謙譲
如何にも古臭いやり方のように見えるが、これがどうして役に立つのである。
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