2008年09月30日

求めない

求めない・・・

すると
もっと大切なものが見えてくる
それは
すでに持っているもののなかにある     (「求めない」 加島祥造)


若者はひたすらに求めて地球のはてまでさ迷いでる。
自分の満たされないものが、自分を駆り立てて遠くまで運んでくれる。でも、本当は若者を駆り立て情熱は、ロケット燃料にも似て案外燃焼時間は短い。


でも老人になると、求めないことで宇宙のエッジまでいくことができる。
求めないことの素晴らしさは、それに身をゆだねてみないと分からない。


ところが、壮年時代は、まだ体が言うことをきくから、自分に頼る。
自分の限界など見たくはない。
自分の限界がちらほら見えると、得たいの知れない闇に怯える。


プロゴルファーの中島常幸さんが、新聞紙上で言っていた。
2002年(49歳)まで、7年間優勝から見放された。
自分の存在証明であるゴルフの成績が下降の一途を辿った。
わが身を守る楯と鎧が必要なのに、それが無くなった、と。


そのとき彼は妻に誘われて教会の礼拝に通ううちに「スランプも偶然じゃない。神が与えた試練」ということを知った。
ある牧師のテープは、また彼に語りかける。
「今そこで、そうしていることに意味がある」


中島選手が自分の存在証明をゴルフの成績に求めるのもよく分かる。
目に見える実績や成果が存在証明。


中島選手の模索はモット続くかもしれない。
存在証明を外の何に求めるかぎり。
でも、「神の試練」や「そうしていることの意味」を模索する時間も大切だ。
優勝カップを高く掲げる中島選手もすばらしければ、スランプの意味を問うやや憂愁の中年男中島常幸も限りなく美しい。


彼の「神の試練」は「求めない」生き方とは違うが、その隣接圏にいる。
それは希薄ながら空気がまだある成層圏だ。
「求めない」という世界は、成層圏をはるかに越えた宇宙空間。

今言っていることは老人だけの話しではなく、若者にだって言えることだ。
ただ幸いなことに老人にはそのことが見えやすいだけ。


ところで若者が運命のいたずらで、例えばガンなどで死に直面したときに、敢然として死に体面することができるようになる。
そういう若者はやはり魂の真実を知ることになる。


魂にとって真実なことは、若者にも、中年の人間にも、勿論老人にも等しく真実である。

liveyaguchi at 21:18トラックバック(0)人生コーチング  この記事をクリップ!

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