2009年08月01日
不思議体験をどういう言葉で説明したらよいのか その36
5年ぶりに運転免許更新に行ってきました。
昔は3年ごとの更新でしたが、今は5年ごとです。
目については、遠視で遠い景色がよく見えるようになっていました。遠視のメガネは持参したのですが、近視のメガネは持っていかなかったのです。
ところが、視力検査で引っ掛かりました。見えているにもかかわらず、切れ込みのところがクリアーでないのです。
でも再検査でなんとかクリアー。ラッキーでした。
5年間の体の変化を甘くみていましたね。老いに屈服するのではなく、どう折り合っていくか。気づきと配慮が必要です。
本題
実は私も、自分でなんでもやらなければ気が済まない人間の一人でした。神とか宗教とかを中傷誹謗するということはありませんでしたが、大して尊敬もしていなかったのです。でも過去を振り返って大病から生還したときとか、大学入試などでこれは手に負えないといったときも、不思議に道がついてきました。人間関係ではこんな人にめぐり会いたいと密かに思っていると、なんだかんだ言いながらちゃんとそういう人に巡りあっている。そして重要なことは、それらはみな自分があらかじめ考えたルートとは違ったとこから、道が開かれてきているのです。
そういうことを振り返ると、引き寄せの法則が言っていることが、実感として納得できたのです。私は前からそういった不思議現象も知っていたし、興味も持っていましたが、自分の考えを表現する言葉を見つけることができないでいました。空海などの事績や言葉、仏典やその他の宗教書、あるいは深層心理学、現代心理学のエゴグラム、エニアグラム、NLP、フロー理論など皆とても素晴らしい理論を持っています。でも私の言葉に成らないもどかしさを感じ続けてきました。体験と理論がぴったりしなかったり、使っている言葉が分かりにくかったり、飛躍がありすぎたりしていたのです。
引き寄せの法則はアメリカのニューソートの流れを汲んでいますから、前からその言葉は知っていました。ところが最近の引き寄せの法則は、量子力学を一つの説明根拠にしているので、これだと思いました。
この小論では、ハイアーセルフという概念を、自我(エゴ)を超えていくための重要なステップないし手段として位置づけています。それはイタリアの精神科医のアサジョリが唱えたトランスパーソナルセルフに近い概念です。仏教で言えば、真我や大我です。
昔は3年ごとの更新でしたが、今は5年ごとです。
目については、遠視で遠い景色がよく見えるようになっていました。遠視のメガネは持参したのですが、近視のメガネは持っていかなかったのです。
ところが、視力検査で引っ掛かりました。見えているにもかかわらず、切れ込みのところがクリアーでないのです。
でも再検査でなんとかクリアー。ラッキーでした。
5年間の体の変化を甘くみていましたね。老いに屈服するのではなく、どう折り合っていくか。気づきと配慮が必要です。
本題実は私も、自分でなんでもやらなければ気が済まない人間の一人でした。神とか宗教とかを中傷誹謗するということはありませんでしたが、大して尊敬もしていなかったのです。でも過去を振り返って大病から生還したときとか、大学入試などでこれは手に負えないといったときも、不思議に道がついてきました。人間関係ではこんな人にめぐり会いたいと密かに思っていると、なんだかんだ言いながらちゃんとそういう人に巡りあっている。そして重要なことは、それらはみな自分があらかじめ考えたルートとは違ったとこから、道が開かれてきているのです。
そういうことを振り返ると、引き寄せの法則が言っていることが、実感として納得できたのです。私は前からそういった不思議現象も知っていたし、興味も持っていましたが、自分の考えを表現する言葉を見つけることができないでいました。空海などの事績や言葉、仏典やその他の宗教書、あるいは深層心理学、現代心理学のエゴグラム、エニアグラム、NLP、フロー理論など皆とても素晴らしい理論を持っています。でも私の言葉に成らないもどかしさを感じ続けてきました。体験と理論がぴったりしなかったり、使っている言葉が分かりにくかったり、飛躍がありすぎたりしていたのです。
引き寄せの法則はアメリカのニューソートの流れを汲んでいますから、前からその言葉は知っていました。ところが最近の引き寄せの法則は、量子力学を一つの説明根拠にしているので、これだと思いました。
この小論では、ハイアーセルフという概念を、自我(エゴ)を超えていくための重要なステップないし手段として位置づけています。それはイタリアの精神科医のアサジョリが唱えたトランスパーソナルセルフに近い概念です。仏教で言えば、真我や大我です。
